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明石花火大会歩道橋事故から20年

2001年7月21日に発生した明石花火大会歩道橋事故から20年が経過しました。
この悲惨な事故を自身の中で風化させないよう、パピオスあかしで開催されている「安全・安心のまち明石 ~明石市の取り組み~」パネル展に行ってきました。
素晴らしいパネル展でした。
当時の記憶が鮮明に蘇ってきます。
当時の会場の様子
当時13才だった私は、友人3人と明石花火大会に訪れていました。
私たちは、自転車で会場に訪れていたため、事故に巻き込まれることはありませんでした。
花火大会の会場となる「浜」は、それはもうすごい人の数で、もしも友人とはぐれたら絶対に再会できないと注意を払いながら行動をしていました。
とくに人が多かったのが、「駅」と「駅から浜(花火大会の会場)にかけての道中」でした。
事故が発生した歩道橋は、この道中にあります。
駅と浜は線路で完全に遮られており、この歩道橋を渡らなければ浜に辿り着けませんでした。
駅で溢れかえっている人々が、幅の狭い歩道橋に吸い込まれるように凝縮されていきます。
明石花火大会歩道橋事故発生時の様子
事故が発生した時、私たち4人は歩道橋の下におり、まさに事故が発生しているその様子を下から見上げていました。
人が人の上に倒れ、3層にも4層にもなっていました。
1番下の段で身動きが取れなくなっている小学生ぐらいの男の子の苦しそうな表情が今でも頭に残っており、今でも思い出すと涙が溢れそうになってきます。
しかし当時は、私たち子供はもちろんのこと、私の周りにいた無数の大人たちもその光景にあまり危機感を感じていない様子でした。
まさか、これが事故だとは思わなかったのでしょう。
私は、歩道橋の事故が発生している箇所を指差して「見て、あの辺ヤバい」などと言いながら笑っていました。
事故から20年経った今でも後悔しています。
そして、これからも一生後悔しながら生きていくことになると思います。
消防車や救急車が到着したのは事故発生から20〜30分後
私たちが事故を目撃してから20~30分ぐらい経過した頃でしょうか、とんでもない数の救急車や消防車が次々に到着しました。
しかし、事故現場の近くには消防署があるため、本来であれば5分、かかったとしても10分もあれば到着するはずです。
私個人の考えですが、事故現場に居合わせた無数の人々は、この状況を誰も事故だと認識できず、通報が遅れたのではないかと思います。
明石花火大会歩道橋事故を教訓に迅速な判断と行動ができる大人に
かくいう私たちも、大量に到着した消防車や救急車を見て、初めて何か大変な事体が起きていると理解をしました。
あの時、すぐに事故だと気づいて通報ができていればと、大人になればなるほど後悔します。
しかし、私の人生にその後悔がつきまとっているからこそ、危機察知能力を持ち、人を手助けしてあげられる大人に成長できたと思っています。
明石花火大会の復活を願って
明石花火大会歩道橋事故を教訓にし、より安全な形と体制でいつかは明石花火大会が復活してほしいと私は思っています。
この事故によって、被害者や遺族はもちろんのこと、辛い経験となった関係者はたくさんおられると思います。
しかし、これからの子供たちに事故のことを教える必要はあっても、背負わせる必要はないと思います。
花火大会は、子供たちにとって素敵な思い出になります。
明石は子供の街です。
いつの日か、明石花火大会が復活することを願っております。
それと同時に、二度とこのような悲惨な事故が起きないことを心より願っております。
亡くなられた方のご冥福を心よりお祈りします。
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